私の黒歴史?
実は、私も経験しています。
勿論日本でではありません。
仕事でジャカルタに住んでて発症しました。
蚊はどこにでも飛んでますから、ウイルスを持った蚊に遭遇するかどうかは、運です。
宝くじで一等当てるよりもはるかに確率が高いのでしょうね。
毎年何人位発症するのか数字はわかりませんが、あの国では死亡することもあります。
何故死亡か?
貧富の差が大きいから、病院に入院出来ない人がたくさんいます。
デング熱は、高熱が出ると同時に、血液中の赤血球が減っていく病気です。
治療薬は無いので、安静にして体力を温存。
毎日採血をして、赤血球の数を調べます。
赤血球の数がこれ以上減ったら生きられないとされる数値があるので、毎日チェックして、危険な数値になって来たら、輸血が必要になります。
ここで注意が必要なのは、輸血は、別の感染症の原因になるリスクがあると言うこと。
私が"入院させてやる条件"として医者から言われたのは、ジャカルタの血液は危ないから、もし輸血が必要な事態になったら、ドクター付きのチャーター機飛ばして、日本に送るからと…それには、1億円かかるけど、同意するなら入院させてやる。とか言われました。熱に冒された病人には考える余裕もないし、最悪の場合は会社がなんとかするだろうぐらいしか思わず、Yes,Yesと言って病室に運びこまれました。
私は普段、低体温なので、熱が出るともう辛くて何も出来ません。
病院のご飯も、それはもう美味しく無くて、全然箸をつけないでいると、鬼のような看護師さんが説教しに来るのです。メニューは一応、ローカルフードかジャパニーズかを選べるのですが、普段は現地志向の私もさすがに体が弱っている時は"日本食"の言葉に釣られて頼むんですけど、いったいこれの何処が日本食なのだろう?と言う代物で、食事の度に泣きました。
症状も峠を越えて、熱が下がってくると、今度は退屈地獄が始まります。
(幸い輸血が必要なゾーンには突入しないで済みました。)
何しろ、腕には点滴常時使用で行動範囲は限られるし、とるものとりあえず入院したから、何も遊び道具持って来なかったしで…
そうこうしてるうちに1週間が過ぎ。看護師さんとの話は、"まだ退院出来ないの?"になって来ました。元気も出たし、ここにいるのもそろそろ限界でした。
撮り貯めた写真を振り返ってみました。その1
鈴音さんのライブに行って来ました。
横須賀で暇潰し的な…
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803年、フランク王国のシャルルマーニュがピレネー山脈中においたスペイン辺境領の一つ、ウルヘル伯領を起源とする。
1133年、ウルヘル伯はウルヘル司教にアンドラの宗主権を譲り渡した。1096年、司教はカボー家にアンドラの防衛を委ねる代わりに、代償としてアンドラの一部カボー谷の統治権を与えた。カボー家の権利はカステルボー子爵との婚姻によって移動し、1208年にはフォワ伯家によって掌握された。フォワ伯家はアンドラ全体の統治権を狙い、司教と争うようになった。事態の解決のため、1278年に両者を対等の共同統治者とする宗主契約が結ばれた。1419年には最初の議会が設置されている。フォワ伯のガストン4世はナバラ女王のレオノールと婚姻し、以降フォワ伯位とアンドラの統治権にくわえてナバラ王を継承するようになった。フォワ伯の地位は女系を経てブルボン家に渡り、1589年にアンリ4世がナバラ王兼フランス王となったことでフランス王がアンドラの宗主権を受け継ぐことになる。1607年にはアンリ4世が、フランス王とウルヘル司教を共同大公とする勅令を出し、アンドラは公国となった。
フランス革命が発生して1793年にルイ16世が処刑されると、フランス側の共同大公は存在しなくなった。アンドラ側は革命政権を承認せず、フランス第一共和政政府もアンドラとの関係を絶った。1794年、スペインとの間でピレネー戦争を戦っていた共和政政府は、この機にアンドラを併合しようともくろんだ。この時アンドラの代表がフランス軍の司令官のもとにおもむき、侵攻を断念するよう説得している。1806年、フランス皇帝に即位したナポレオン・ボナパルトとの間で両国関係は修復され、再びフランスの元首が共同大公につくことになった。以降封建的な制度はそのまま受け継がれていくことになる。
第一次世界大戦に参戦したものの、ヴェルサイユ条約の範囲外にあった。そのため、形式的にアンドラ公国は「第一次世界大戦を継続したまま、第二次世界大戦を迎える」という珍事が起こった。この戦争状態は1950年代まで続いた。1934年7月にはリトアニアの冒険家、ボリス・スコスヤレフがフランスの庇護下にあるアンドラ王を称して、ウルヘル司教に対して宣戦布告したが、まもなく国外追放される事件が起きている。
スペイン内戦の時期には中立を守り、フランス軍が駐屯している。第二次世界大戦では中立を守ったものの、スペイン軍が駐留している。第二次世界大戦中にはスペインとヴィシー政権の密輸ルートとして利用されている。また1944年にはドイツ軍の部隊がアンドラに侵入しているが、1945年に退去するまで戦闘行為は発生しなかった。
1993年3月、新憲法が国民投票により可決され、ウルヘル司教とフランス大統領を共同元首とする議会制民主主義を敷く独立国家となる事が決定された。フランスおよびスペインはこれを6月1日に承認し、正式に独立国家となった。同年7月、国際連合に加盟した。
いかがでしたか?長文お疲れ様でした。
フランス大統領になった人が自動的に共同元首になるってすごい制度ですよね。
ここには転載しませんでしたが、自国の通貨も無く、軍隊も無く、それでも国として成立してるんですよね。
観光を収入源としているとか、なんか行って見たくなりました。
ちなみに、空港も、鉄道も無いので、長距離バスで行くそうです。
最寄りの都市、スペインのバルセロナから3時間だそうです。
国境越えたら、5分で首都。山に囲まれた、時間の止まった国。いいなぁ…